2025年が開幕しました!本年も宜しくお願い致します!!
 年はじめの駅伝応援に熱が入った方々もいらっしゃった様ですね!!!

チームで走る陸上競技
          たすきをつなぎゴールへ

 毎年10~1月は駅伝のシーズンです。年明けにはニューイヤー駅伝、箱根駅伝、そして全国都道府県対抗(男女別)駅伝も開催されました。駅伝は、複数の選手でチームを作り、決められた区間を走って順位を競う長距離の陸上競技で、約100年前に日本で生まれました。駅伝の歴史とルールを学んで行きたいと思います。

 駅伝の正式名称は「駅伝競走」です。スタートからゴールまでの距離を複数の区間に分け、「たすき」を次のランナーにつないでいくのが大きな特徴となっています。チーム一丸でゴールを目指す姿が感動を呼ぶスポーツです。
 駅伝と言う言葉は、奈良時代に馬を使って都と地方をつないだ「駅制」という制度に由来します。役人が、幹線道路沿いに設置された中継所で「駅馬」や「伝馬」とよばれる馬を乗り換えながら、目的地に向かったことを参考に名付けられたと言われています。
  
箱根駅伝
今年で101回を迎えた箱根駅伝

 過酷な初大会
 日本最初の駅伝は、1917年(大正6年)に開催された「東京奠都(てんと)五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」です。関東と関西の2チームが、京都・三条大橋から東京・上野までの約516キロ、23区間を昼夜問わず、3日間で走ると言う過酷なレースでした。
 この大会の成功をきっかけに、箱根駅伝(正式名称・東京箱根間往復大学駅伝競走)が誕生します。第1回大会は1920年に開催されました。わずか4校の出場でしたが、今ではお正月の風物詩として定着し、今年で101回目を迎えました。

 たすきは肩から斜めに掛ける
 駅伝の基本的なルールや規則は、「日本陸上競技連盟駅伝競走規準」に記載されていますが、具体的な距離や区関数に決まりはありません。ただし、計測は0.1キロ単位で行われます。
 一方、たすきに関しては細かい規定があり、布製で長さ1.6メートルから1.8メートル、幅6センチを標準とするように記載されています。また、ランナーが着用する際、「必ず肩から斜めに脇の下に掛けなければならない」と決まっています。
 たすきを受け渡す際にもルールがあります。受け渡しは各区間に設けられた中継所で行われますが、中継線と呼ばれる白線から、進行方向へ20メートルの範囲内で手渡さなければなりません。中継線よりも手前での受け渡しや、投げて渡してはいけません。
 なお、受け渡しがスムーズに行えるよう。
①たすきを外すのは中継線手前400メートルから
②たすきを受け取ってから200メートルまでは肩に掛けなくても良い・・・という目安があります。

たすきたすき2

【駅伝の象徴「たすき」のルール】
●長さは1.6~1.8m、幅6㌢で布製
    ●肩から斜めに脇の下に掛けて走る
                    ●中継線から進行方向20㍍の 範囲内で手渡す

 悔しい繰り上げ
 駅伝には、繰り上げスタートという独特の規定もあります。前のランナーが中継所に到着するのが遅れそうなとき、その到着を待たずに次のランナーをスタートさせることができます。先頭ランナーの到着後10~20分など、大会によって条件はことなります。
 繰り上げスタートになったチームのランナーがたすきを渡せず、悔し涙を流す姿がテレビ中継で流れることもあります。
 「次の世代にたすきをつなぐ」という言葉が一般的に使われるように、たすきは駅伝のシンボルであり、出場チーム全員の願いが込められた大切なものです。

【 有 名 な 駅 伝 大 会 】

大会名               開催時期     距離      区間

出雲駅伝           10月   45.1㌔     6
全日本大学駅伝           11月        106.8㌔     8
箱根駅伝             1月   217.1㌔    10
ニューイヤー駅伝         1月    100㌔     7
クイーンズ駅伝                   11月      42.195㌔      6
全国都道府県対抗男子駅伝             1月        48㌔           7
全国都道府県対抗女子駅伝             1月      42.195㌔           9
駅伝
  
 箱根駅伝は地方大会の一つ
 駅伝は世界的には「ロードリレー」の名称で呼ばれますが、最近ではヨーロッパを中心に「EKIDEN(エキデン)」の名前で開催される動きもあります。
 お正月の一大イベントである箱根駅伝ですが、実は関東の大学が参加する地方大会の一つです。全国大会として開催されるのは、出雲駅伝と全日本大学駅伝です。箱根駅伝を含め「大学三大駅伝」と呼ばれています。
 三大駅伝は男子限定ですが、実業団で争う大会は男子がニューイヤー駅伝、女子がクイーン駅伝という名称で開催されています。中学生から社会人までが同じチームで出場する全国都道府県対抗駅伝も、男女別で開催されています。
  
駅伝2
大学日本一を決める全日本大学駅伝  中学生から社会人までが出場する全国都道府県対抗女子駅伝 
                              
 今回も最後までお読み頂きありがとう御座いました。
 当社は今年創業70周年の節目を迎えます。今後も時代の変化に対応し、お客様に満足を提供できるよう努力してまいります。
 そして本年は巳年、蛇は脱皮をすることから、新たな挑戦や変化に前向きになるといわれており、当社も大きく飛翔・飛躍する1年とすると共に何より、皆様にとりまして、輝かしい未来に向けた素晴らしい年となりますよう心からお祈りいたします。

 今年も残りあとわずかとなりましたが、物流は暮に向けて益々活発です。
 また、それに伴う様々な計量行為は、公平・公正でなければならず、その為の使用計量器は今も昔も正確であることが基本ですよね

 さて、今回は、江戸時代から現在までの正確計量に関する歴史上の出来事についてお話いたします。過去のブログ(第42弾、第32弾、第22弾及び第5弾)でも歴史上の出来事に触れていますので併せてご覧ください

 まず、江戸時代の計量制度ですが、幕府は「ます座」や「はかり座」を免許して、ます・はかりの製造・修理・販売から検査・取締まで行わせ、諸藩もこれに従っていました。蝦夷地には北前船によって越後(新潟県)の加茂からはかりが供給されていたようです

 鎖国体制崩壊後の1859(安政6)年に外国貿易が始まると、函館奉行は、守随の江戸はかり座に出張役所の開設を要請し、1866(慶応2年)年に箱館地蔵町(今の函館市豊川町辺り)に「はかり座」の出張所ができて、はかりの検査が始まりました

 1869(明治2)年には、維新政府によって開拓使が置かれ、蝦夷地を北海道と改称して開拓が進められました
 その後、明治政府は、1875(明治8)年に度量衡取締条例を公布し、地方庁が度量衡器の取締検査を行うこととし、「はかり座」が廃止されました

※度量衡の度は「長さ」および「さし(ものさし)」、量は「体積」および「枡(升、ます)」、衡は「質量」および「秤(はかり)」を表しています。
 
正義の目方像
 1891(明治24)年には、度量衡法が制定され、尺貫法を基本としつつもメートル法が導入されたのはこの時期です
 1893(明治26)年に北海道庁構内に常置度量衡検定所(現在の北海道計量検定所)が設置され検定が行われていました

 産業の発展とともに工業用の度量衡器が広く用いられ、計量器の信頼性の確保が重要となってきた社会情勢の変化に対応するため、1903(明治36)年には、計量標準の維持をつかさどる農商務省所管の中央度量衡器検定所(現在の国立研究開発法人産業技術総合研究所)が設立(現在の東銀座辺り)されました

 1909(明治42)年には、ヤードポンド法の度量衡器も適法としたので、我が国の度量衡器は3系統の単位を混用することとなります

 1913(大正2)年に中央度量衡器検定所は、農商務省の廃止に伴って商工省に所属することとなり、名称も中央度量衡検定所と改称されました。
 その頃は、多様な取引用計量器や研究用計量器が増加したため、様々な単位が度量衡法に追加され、商品量目の取締が加わったのもこの頃です

 その後、関東大震災、日中戦争、太平洋戦争を経て、度量衡法の改正作業が行われ、1951(昭和26)年に尺貫法の使用を禁じた「計量法」が公布されました。この法律の公布によってメートル法による計量単位の統一が定められました
 また、北海道では、開道90年を記念して札幌市と小樽市で1958(昭和33)年7月5日から8月31日まで北海道大博覧会が開催された際に、北海道と北海道計量協会は札幌市中島公園会場内に「メートル館」を特設して、生活の中での計量の重要性とメートル法による計量単位統一に関する普及・啓発活動を行っています

 1959(昭和34)年1月1日からは、メートル法に基づく計量単位の使用が完全実施となり、その後も時代に合わせた計量法改正が行われて現在に至っています

 今回は、江戸時代から現在までをお話ししましたが、それ以前のお話や様々なエピソードははまたの機会に

 ところで、計量に携わる人々に「計量のシンボルは?」と尋ねると「女神テミス」と答える人が多いと思いますが、皆様はその女神がシンボルとなった理由をご存じでしたか

 女神テミスは、ギリシャ神話の中で罪業の公正な審判を司ったことから、法あるいは正義の神様といわれ、握った剣は威厳を示し、捧げる天秤は人間の感情を入れないように目隠しをし、公正な計量によって正邪を計りわけることを象徴していることが「計量のシンボル」となった理由です

 女神テミス像は、司法、裁判の公正さを表す象徴として、古来より裁判所や法律事務所などの司法関係機関に飾る彫刻や塑像、絵画の題材として扱われてきたことをご存じの方もおられると思います(弁護士バッジにはひまわりの花の中心に天秤が描かれています。)が、計量業界のシンボルとなったのは、大正時代の計量展覧会からのようです
 なお、この経緯に関して詳しくお知りの方は、ぜひ投稿いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

 最高裁判所、中央大学多摩キャンパス内、虎ノ門法曹ビル(東京都港区)、中央大学杉並高等学校、愛知県立津島高等学校などで女神テミス像を見ることができ、 北海道では、北海道計量検定所(札幌市南区川沿)の玄関ホールに飾られています。
メートル館

 
 今回のブログ作成に際しましては、北海道計量検定所様、(一社)北海道計量協会様に資料提供等のご協力をいただきましたことに感謝申し上げます

 今年も最後までブログをお読みいただきありがとうございました
 ブログを始めてから4年が過ぎましたが、なかなかコメントをいただけていないので、皆様が満足のいく内容となっているのかどうか、いつも気になっています
 どうぞ、2025年も同様にご愛読いただき、コメント欄でご感想をお聞かせいただければ幸いです

 来年2025年の干支は、巳です。蛇は、冷静沈着で粘り強く、強い生命力や豊穣の象徴と考えられています。ご覧の皆様の来年の益々のご繁栄をご祈念申し上げます
 良いお年をお迎えください

-参考文献-
1 計量70年のあゆみ(平成2年6月発刊 社団法人北海道計量協会編)
2 計量標準と計量管理2024 Vol.74,No.3(令和6年11月発刊 一般社団法人日本計量振興協会編)

 みなさんこんにちはHです
 いよいよ北海道は冬到来ですねストーブがなければ生活出来ない時期になりましたね
みなさんのご家族はお家ではどの様な遊びをしていますか今は「ゲーム」と言う答えが多いと思いますが、私の小さい頃は将棋崩し、将棋倒し、竹とんぼ、けん玉、紙風船、ビー玉、すごろく、かるたなどがありました
 今日は昔を懐かしんで「けん玉」についてご紹介します

 みなさんご存じの様に、「けん玉」は大、中、小の大きさの異なる三つの皿と、一つのけん先、そして糸で本体につながっている穴のあいた玉が1セットになっているおもちゃですね

各部位の名称
各部位の名称

「けん玉」の起源は16世紀のフランスで「ビル・ポケ」と呼ばれていましたこれは、「けんと玉」だけのシンプルなもので、当時の貴族の遊びとしてはやったそうです日本には江戸時代に伝わりましたが、「ビル・ポケ」に似た単純な構造のものでした
 現在の形のけん玉は、日本発祥です。1921年、広島県廿日市市(ひろしまけん はつかいちし)の木工メーカーが製造しました「日月ボール」という名前で発売され、ブームが起こり、瞬く間に日本全国に普及しました

「KENDAMA」として世界に広がる
 現在では「KENDAMA」として世界に広がっていて、1000万人以上の人が楽しんでいます。ブームの火付け役はアメリカで、国内での人気、プレーヤーのレベルともにトップクラスです。台湾やシンガポールなど、アジアの国でも人気があります
 けん玉には、さまざまな技があります。三つの皿に順番に玉を乗せた後にけん先に刺す
「世界一周」という技は有名です【イラスト参照】 
けん玉

 QRコード    


プレイ状況を動画で見ることが出来ます
【2次元コード参照】
「動画は公益社団法人・日本けん玉協会」

 


 これ以外にも、本体と玉を交互にお手玉したり、玉を刺すまでに本体を回転させる技などもあります。また、ダンスと組み合わせて、お互いに技を見せ合い、競うこともあります
 発祥の地である広島県廿日市市(ひろしまけん はつかいちし)では2014年から毎年、「けん玉ワールドカップ」が開催されています。日本のみならず、世界の各国から選手が集まり、世界一の座をかけて技を競い合っています
 最後までブログをお読みいただきありがとうございました。読者の皆様に感謝です
もうすぐ師走!交通事故等には十分注意して今年を乗り切って行きましょう

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