第七弾 「一斗二升五合(いっとにしょうごごう)」

 前回のブログの酒屋の歴史の中で「お酒を升で量り売り」とお話ししましたが、今回は、尺貫法時代の計量単位「升(ます)」と道具の「枡(ます)」について深堀です

1 現在の日本人の生活にも身近な「升」と「枡」
第7弾①
 現在でも昔の尺貫法の計量単位である「升」は、深く日本人に浸透しています。ご飯を炊く時の量や、お酒の量の表現で普通に使いますね。
 また、古来神聖なものとして扱われてきた象徴として社寺の節分際などの行事で「枡」が使用されていたり、祝宴、祝賀パーティーなどのおめでたい席での日本酒の杯として「枡」は利用されていて、今も日本人の生活に身近なものであるといえます。

2 天下統一と枡の基準統一
 「枡」は、古くから農業、商業そして人々の生活基準として使われてきました。
 日本で主流となった木製の方形(四角)の「枡」は1200年前のものが奈良の平城京跡近くから出土しています。701年(大宝元年)に施行された大宝律令で度量衡制度(現在の計量法にあたる制度)が法定化されました。ただ、長年の間、その容量は統一されず、年代や地域によって一升の容量はまちまちでした。古来日本では全国的に一升の容量は現在の一升(1,800ml)よりも少量で六合から八合位の容量だったようです。
 その後、豊臣秀吉による太閤検地によって、石高算出のため初めて全国一律に一升の容量を統一しました。基準となる「枡」は、京都で発令したので京枡と名付けられました。
 なお、徳川時代に一時期、京枡と江戸枡の併用となりましたが、1669年(寛文9年)京枡一本となりました。
 この時、江戸幕府は、従来の京枡より少し大きい新京升の採用を命じ、体積は変わらないと思わせて、実は体積を約 3.7 % 増やす策略があったとも言われています。江戸幕府は、江戸と京都に「枡座」を置いて「枡」の大きさを厳密に統制したので、江戸時代の約300年間大きさの統一が保たれました。
 また、江戸時代の「枡」は、京都と江戸に置かれた「枡座」によって製作から販売に至るまで厳しく管理されました。その使用状況管理については「枡しらべ」という立入検査があり、正規の容量ではない疑わしい枡はその場で使えないように壊されたようです。年貢を量る重要な計量器であることから厳密に管理しなければ、「入枡」と「出枡」といわれる仕入れる時の枡と、販売する時の枡を使い分けて、その差益を得るといった不正が多く行われていた事も、「枡しらべ」が行われていた理由のようです。

3 メートル法による「升」の定義
 1875年(明治8年)、明治政府は新京升の体積を公定の升の体積と定めています。
 その後、1885年(明治18年)に日本はメートル条約に加盟し、国際度量衡局からメートル原器が配布され、我が国の長さの原器となりました。
第7弾②
ートル原器(定義変更で役目を終え、現在は国の重要文化財)

 1891年(明治24年)にメートル法を基礎とする度量衡法が公布されたことで、1尺は 10/33 mと定められ、分は尺の100 分の 1 であるので、1 分 = 約3.03 mm。ゆえに、新京升の体積は、1升 = 約 1.80 Lとなりました。(新京升の「枡」の寸法:約 148.485 mm × 約 148.485 mm × 約 81.818 mm)新京升による枡の大きさは、縦横4寸9分、深さ2寸7分で、容積は約1.80 L。古京枡は、縦横5寸、深さ2寸5分で、容積は 1.74 Lでしたので、新京升の 0.964 倍でした。

4 枡の種類
 江戸時代の京枡には穀用の「弦鉄枡(つるがねます)」と液用の「木地枡(きじます)」の2種類があり、前者には口辺に対角線状の鉄準(弦鉄)を渡していました。種類はともに1合・2合半・5合・1升・5升・7升・1斗の7種類存在していました。

第7弾③      第7弾④      第7弾⑤
    穀用枡(5升)         穀用枡(1升)          液用枡(5合)

 度量衡法時代の検定証印マークと計量法に規定する検定証印のマークに下記の違いがあることをご存じでしたか?上の画像を拡大すると度量衡時代の検定証印(焼き印)が見えますよ。
第7弾⑥

5 枡は縁起物
 枡は元来、縁起物として重宝されてきました。「ます」という読みが「増す」と同じであることから、老舗の商店や飲食店の壁に掛けられた額や湯飲みなどに「一斗二升五合」と書いて「ご商売益々繁盛」、「春夏冬 二升五合」と書いて秋が無いので「商い益々繁盛」と読むなど、「枡」は縁起物とされています。
 それにしても、昔の人は、お洒落ですよね。
第7弾⑦

 次回は、温度に関しての深堀です春の足音が近づく今日この頃桜前線(開花予想)が気になります